若者はなぜJRPGをやらなくなったのか

 Tofuです.若者(〜20代を想定)がなぜJRPGを遊ばなくなった(偏見)のかを,22歳の視点と周りの人々の意見から雑に考えます.なお,Tofuの影響力不足が原因で,実際の統計(どの世代の人間がどのプラットフォームでどの種類のゲームをどれくらい遊んでいるのかなど)を取得することはできませんでした.インフルエンサーかメディア関係者の方がこのブログを読んでいたら,改めて調査を行なっていただければ幸いです.

0.目次

1.リリースの間隔が長い

 ゲーム情報系youtuberナカイドさんも仰っていたことですが,ドラクエやFF等のある種伝統的とも言えるJRPGは,同様に一人用ゲームであるポケモンゼルダといった若者に人気な作品群に比べると本編作品の発売間隔が長いです.ゼノブレイドシリーズも昨今の若者に評判ですが,そこには少なからず発売時期やコンテンツの供給ペースの加速が関わっていると考えられます.

 RPGにおいて発売間隔が短いことが重要な理由は,通信要素が主要なコンテンツとなっている作品(対戦ゲームなど)に比べてエンドコンテンツに限界があり,遊び続けることが難しい点にあります.ゲームを趣味にしている人は常に遊ぶコンテンツが供給されている状態を望ましいと考えているため,それらを自発的に生み出しやすい対戦ゲームを除いて,やることがない時期が長く続くタイトルに投資することは価値がないと感じることもあるでしょう.

 補足になりますが,上記の「やること」の解釈が個人によって異なることも重要な論点です.「やること」とは,言い換えれば「プレイヤーが遊ぶ価値があると判断できるコンテンツ」のことであり,一般的にはこれがなくなったタイミングがゲームのやめ時である,と解釈できますが,JRPGにおける「やること」を「ストーリーをクリアする」「クエストを消化する」等プレイヤーが受動的にこなすものとした場合,そこには必ず明確な「終わり」が存在します.それ以上の「やること」を生み出そうとすれば,それはRTAや縛りプレイなど研究的・自己研鑽的なものになるものの,これらのコンテンツを孤独に「遊び」続けることは,趣味としてはポピュラーな形ではないのです.

2.インタラクティビティがない

 前項の内容とも関連する話になりますが,対戦ゲームにおいては連続性のある他者とのやり取りがコンテンツの本質である一方で,JRPGを始めとする一人用ゲームには一般的に他のプレイヤーとのリアルタイムなインタラクティビティ(双方向性)がありません.これは昨今の文化におけるゲームの立ち位置の変化に関わる問題であると考えられます.

 技術が発達し,ゲームは一人で楽しむだけでなく,みんなで楽しむこともできるものになりました.すなわち,コミュニケーションツールとしてゲームを用いることもできるようになったということです.そして,少なくとも現代,特に若者のトレンドにおいては,ゲーム開発者が創作した未知の部分を開拓していく,という古来より続くJRPGの遊び方よりも,友達や家族と協力・対戦するフィールドとしてゲームを利用させてもらい,それを通じてコミュニケーションを図る,という多人数型ゲームの遊び方に軍配が上がります.重要なのは,これは人々の心理が世代を渡って変化したわけではなく,技術の進歩がこうした遊びの拡張をもたらした,という事実です.

 幼少期を思い出すと,放課後に教室や図書館で本を読んでいる生徒よりも,校庭でサッカーやドッジボールを楽しむ生徒の方が多かった記憶があります.さらに言えば,「本当は外で遊んでいる人たちの仲間に入れてもらいたいけれど,能力的な問題でそれが叶わないために,仕方なくひとり遊びをしている」というケースもありましたが,身体的能力に直接依存しない多人数ゲームではこうしたハードルはありません.人間は社会的な生き物であり,孤独に作業をするよりも他人と相互作用することに充実感を覚える性質があると考えられます.

 最近は,若年層では特に趣味が多様化し,屋外でスポーツをする人々もいれば,屋内でゲームをする人々もいます.しかしながら,屋内でゲームをしているからといって必ずしも孤独な作業をしているわけではなく,むしろゲームを通じて社会的な活動を行なっている若者の方が多いのです.そして彼らは,一つ前の世代に生まれていれば,父や祖父の例に倣ってスポーツマンになっていたことでしょう(その逆もありなん).すなわち,本質的に望んで一人用ゲームを黙々とプレイしたり,本を読んだりする人の数は変わっていない一方で,技術的な進歩によって外で社会的な(趣味に取り組むような)趣向を持っていた人々が多人数ゲームに流入してきた結果,ゲーム人口そのものが増え,結果として一人用ゲームのプレイ人口が減少しているように見える,という仮説をたてることができます.実際,ドラクエFF等の伝統的なタイトルの売り上げ本数は,価格の変動やプラットフォームの変化,時間経過による累積などの要因を考慮すれば,ナンバリングを追うごとに大幅に減少しているわけではありません.

3.配信映えしない

 近年,特にサブカルチャーに傾倒する若者にとっては,ゲームは遊ぶものではなく,見るものに変化してきました.これにもやはり,配信環境を整えやすくなったことや通信技術の発展などが寄与していると考えられます.

 ゲームの配信が望まれているフィールドは主に2つあります.1つは,人気実況者やvtuberなど,「人そのもの」に価値がある存在が,ゲームを通じて視聴者に価値を提供する場合.もう1つは,そのゲームにおいて優れた手腕をもつプロゲーマーやストリーマーが,その巧妙なプレイを通じて,間接的に視聴者にゲーム体験を提供する場合です.

 こうしてゲームは新たにその価値を提供するフィールドを得ましたが,このような枠組みを適用するにはJRPGは不向きです.まず前者について,初見のJRPGは配信で一回見てしまえばストーリーも初見殺しなどの詰み要素も丸わかりです.それらを知った上で同じタイトルを購入する人は多くはないでしょう.既プレイの作品に対する配信者の反応を見る,という楽しみ方もあるかもしれませんが,それは既に作品を購入してクリアしている人から見た話であり,やはり新規参入は見込めません.続いて後者についてですが,アクション要素のない(あるいは限られた)JRPGには巧妙なプレイもクソもないので,わざわざ配信で見る必要性がありません.隠された収集要素や強敵を倒す戦術など,工夫すべき要素はありますが,それらは自分で考えて導き出さないと意味がないですし,さらに身も蓋のないことを言えば,再現性があるので動画で一回見れば十分です.

4.ストーリーが評価の対象になる

 JRPGに不可欠な要素としてストーリーがあります.これは非現実的な時間が流れるゲームの画面の内部でキャラクターのコマンドを操作するだけでは好ましいゲーム体験にはならず,それ以外の部分でプレイヤーに価値を提供しなければならないためです.一方で,技巧的なアクション要素に大きく依存したアクションゲームや対戦ゲームはストーリーが存在しないか,もしくは無視できるものが多く存在します.これはアクションという要素そのものに価値があり,それだけでユーザーに好ましいゲーム体験をさせるように設計されているためです.「ではストーリーを売りにすればいいではないか」という話になりますが,これは商業的には安定する作戦ではありません.

 アクションを主軸にした商業戦略は非常に安定しています.移動や攻撃といった要素は直感的であり,キャラクターを操作しているだけでプレイヤーに「楽しい」と思わせることができます.操作していて不快だというフィードバックがあったとしても,それに対するゲーム設計の改善をすることは容易です(バランス調整を優先しなければならない場合や高難易度コンテンツの設計を前提としている場合など,難しいこともありますが).

 誰もが操作していて楽しいと思えるキャラクターを作ることは簡単です.しかし,誰もが読んでいて楽しいと思えるゲームのストーリーを創作することは困難を極めます.前提として,JRPGはゲームであり,小説ではありません.バトルや探索などのゲーム部分を通じてシナリオを読者に体験させ,感情を動かすことを目的としているので,単に一本道のストーリーの流れを巧妙に設計しただけでは,真に魅力的なゲーム体験であるとは言えないのです.その上で,「減点要素を極限まで排する」「動きのある展開を定期的に配置する」などの商業的に成功するための物語を創作する難易度も乗算されるので,それらの噛み合わせが少しでも狂えば簡単にクソゲー爆誕してしまいます.こうしたハードルを超えて名作JRPGを生み出したクリエイターは,同じ売り上げをもつ他のジャンルのクリエイターよりも多くの工数を要していることは想像に難くありません.

まとめとお気持ち

 JRPGはたまにしか新作が出ないし,誰かと一緒に遊べないし,配信映えしないし,ストーリーがつまらない作品がたくさんあります.しかし,三世代に渡る壮大な冒険をしたあの日のように,スピラの死の螺旋を断ち切ったあの日のように,作品は人生の一部となり,大切な思い出となって自分の中に残ります.「大切な思い出は彼女とか友達と作ればいいじゃん。」とか言ってるそこのあなた.仰る通りです.部屋の隅にそっとしておいてください.